~このコンサルティングは、現役・OG・未来と、世代を超えて、
タカラジェンヌから大変好評をいただいております~

 私と宝塚の出会いは幼稚園の時。地元に来ていた地方公演でした。日本物だったのでよくわからず座席で寝ており、時々起きるとお化粧をした綺麗な人が話したり歌ったり・・・
これが初観劇の記憶です。今思えば、なんともったいない事を!!

 そんな私が「沼」に落ちたのは中学1年生の秋のこと。タカラヅカ花の指定席で観た星組の「アポロンの迷宮」でした。沼に落ちるまでの時間はわずか3秒、そこから宝塚に夢中になりました。

その頃は、音大附属校に進路を決めたので、部活は帰宅部となり、TVで宝塚を見る時間時間はタップリとありました。日課のごとく見ているうちに初恋の人が現れます。当時月組のトップスターだった涼風真世さんです。彼女はいまでも私の永遠のオスカル様として君臨しております。

どっぷりとハマり、退団するその日まで追っかけに追っかけました。ムラまで行ったり(ムラ退団公演初日で当時高校1年生)、東京のサヨナラ公演ではチケットを1枚も取れなかったのに、3日に1回は席に座って観劇することができました。それは、財布を握りしめ、必死の形相でいる高校生を可哀想に思ったのか、たくさんの方たちが「チケット余っているけど一緒に観劇する?」と声をかけてくださったからです。そのお陰で3日に1回、東京公演初日大楽のサヨナラショーまでも観る事ができ、心残りなくカナメさんをお見送り出来たのでした。

あの時、私に声をかけてくださった方々……忘れることができません。私にとっては人生の恩人です。
だから今は、今度は自分が、困っているヅカファンがいたら助けよう!!と、心から思って仕事をしています。

 その後はライトファンに戻ったのですが、ある日現役生からこんな話しを聞きました「同期が退団するんだ。お父様が亡くなって生徒を続けるのは厳しいみたい」と。

正直ショックを受けました。芸事にお金がかかるのはもちろん知っていましたが、タカラジェンヌのご実家はかなり裕福なイメージがあったからです。
 
お金がなくて、タカラジェンヌを辞める・・・・
こんな事があっていいたのだろうか!
一ファンとして自身が納得するまで舞台の上で輝き続けて欲しい!!!

困った時に助けてあげたい……それは、ヅカファンだけでなく、タカラジェンヌも同様だったのです。

私は、大学3年の時に、父を亡くしました。
家業の会社も精算となり、実家も競売にかけられてしまいました。
それでも私立を音大を卒業でき、しかも実家を買い戻すことまでできたのは、父の生命保険のおかげでした。
だから今、私は、生命保険のコンサルタントとして、「夢を諦めずに済む保険設計」を伝えることを生きがいとしています。

「最後までタカラジェンヌとして輝き続けたい!!」……そう思う方は、ぜひ私のコンサルティングを受けてください。
私がずっとサポートさせていただきます。

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